日本サッカー史

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1912(大正元年)

 1867年(慶應3年)15歳の若さで即位し、日本の歴史上かつてない変革の時代に遭遇された明治天皇が、この年7月30日に崩御された。嘉仁皇太子が即位し大正と改元。

 徳川幕府の大政奉還から東京への都の移転、近代国家としての形を整え、しかも天皇親政の思想の上にも乗る――という、きわめて複雑な、新しい日本の形をつくりつつ、その間に日清・日露の大戦争を戦うなど、まさに波乱に満ちた明治という時代が終わることになるのだが、スポーツにとっては、この年は第5回オリンピック・ストックホルム大会(7月6日〜15日)に日本から陸上競技の三島弥彦(東大)金栗四三(東京高師)の2選手が嘉納治五郎団長とともに初めて参加するという画期的な年でもあった。

 日本サッカーでは、1896年に東京高等師範学校(略称・東京高師)のなかに生まれた運動会組織のひとつとしてフットボール部がつくられ、1902年にはア式蹴球部となり、青山師範学校、豊島師範学校、高師附属中学校などとの試合を行なっていた。また夏休みには愛知・新潟・山口・岡山など各地の師範学校へ出かけて指導したという記録が残っている。
 また、神戸での御影師範学校対姫路師範学校(1−1)といった個別の試合が、東京や広島など各地で行なわれていた 。

日本のサッカー
  • 4月 広島の名門・広島一中に、前年に東京高師の選手だった松本寛次が赴任。グラウンドにゴールを建て、生徒とともにボールを蹴る
世界のサッカー
  • 6月 第5回オリンピック大会(ストックホルム)で英国代表が前回に続いて優勝(参加11ヶ国、決勝 英国4−2デンマーク)

主な大会

  • 第1回校外蹴球大会
    10月25日 御影師範主催。神戸二中、姫路師範が参加

日本代表

主な出来事

日本の出来事
  • 4月 石川啄木死去
  • 6月 富山で米騒動
  • 6月 オリンピック・ストックホルム大会に日本初参加。スポーツへの関心が高まる(短距離の三島弥彦は決勝に進めず、マラソンの金栗四三は途中棄権)
  • 7月 明治天皇死去
  • 9月 乃木希典(のぎ・まれすけ)夫妻の殉死
世界の出来事
  • 1月 南極で英国の探検家スコットが極地到着し、帰路死亡
  • 1月 中国で革命、孫文が南京で臨時大総統に就任。国名を中華民国と定める
  • 2月 宣統帝が退位し清朝滅亡
  • 4月 英国の豪華客船タイタニック号が氷山に衝突して沈没
  • 8月 第1次バルカン戦争

フォトライブラリ

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ストックホルム・オリンピック

ストックホルム・オリンピック大会ポスター。5回目のこの大会で競技会としてのオリンピック大会の形も整い、運営も後の手本となった。

ストックホルム・オリンピック、嘉納治五郎、三島弥彦、金栗四三

ストックホルム・オリンピック開会式(7月6日)。日の丸を掲げて入場行進する三島弥彦選手と金栗四三選手(国名プラカードを持ち、体は旗に隠れている)。シルクハットを手にしているのは嘉納治五郎団長。両選手の履く地下足袋が現地で話題になった。

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