日本サッカーアーカイブとは

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日本サッカーが今日の形に到るまでには、100年以上の年月と数多くの先人たちの努力の蓄積がありました。

日本と世界のサッカーについて大きな蓄積を持つ「Kagawa Soccer Library」と連携し、その資料を活用するとともに、新たに各地域の図書館、学校サッカー部、サッカークラブ、さらには愛好家の資料発掘につとめます。

また、同時に英語版も制作し海外にも発信していきます。2007年9月には日本サッカー協会理事会において、日本サッカーミュージアムの協力名義の承認もいただいており、今後も国内外に向けて有益かつ正確な情報発信につとめます。

日本サッカーアーカイブ開設のご挨拶

歴史を眺め先人のプレーと仕事に目を向け、各地の資料の発展を願う。

 日本サッカーに長く関わってきた者の一人として、先人たちの物語や、それぞれの時代の節目となった事柄(試合を含む)を紹介するサイトを作りたいと考えていました。
この度、日本サッカーミュージアムの協力を得て、発足の運びとなりました。

 アーカイブ(ARCHIVES)は英語ですが、イタリア語でもフランス語でもドイツ語でも、よく似たスペル(綴り)で、それぞれ古文書、公文書といった意味から、その保管所、保管庫というふうに使われています。
日本では「NHKアーカイブス」が有名ですが、こちらの方は、もちろんNHKさんほどの膨大な資料を抱えているわけではありません。むしろ、賀川浩の私的な蓄積を足場に、皆さんからの応援を頂いて、全国の図書資料、PHOTOの発掘に結びつけてゆきたい−−いわば、池へ投じる一石で、その波紋を期待したいというところです。

【 日本サッカー史 】
 まず年代順の記録。いわゆる年表です。
 1966年に大谷四郎さん(故人)岩谷俊夫クン(故人)と3人で『ボールを蹴って50年(神戸一中、神戸高校サッカー部史)』を編集したときに、巻末に二十数ページの年譜「サッカーのあゆみ」を作成し、大谷編集長から「世界と日本とわが神戸一中サッカーを対比させた気宇壮大な労作」とお褒め頂きましたが、今度はどうでしょう。
 本来は、もっと古いところから書き始めるところですが、それは後に加筆するとして、まず、日本のスポーツの画期的な、初のオリンピック参加の1912年からスタートしました。

【 日本サッカー人物史 】
 日本サッカーがいまの“かたち”になるまで、そのときどきに大きな力があり、後にまで影響を及ぼした先人を紹介してゆきます。
 日本サッカー協会(JFA)の川淵三郎キャプテンの提唱で生まれた「日本サッカー殿堂」のおかげで、メディアの、歴史的な功労者への関心が高まってきました。こうした殿堂表彰者をはじめ、すばらしい先達(せんだつ)のプレーや仕事を理解して頂こうというところです。

 サッカーというスポーツは、日本に伝わってきたときにはすでに国際化していました。
 日本サッカーの歴史は、また世界のサッカーの流れ、その背景となる各国、各大陸の歴史と無縁ではありません。このアーカイブでサッカーを通じて、世界への興味、日本歴史への関心、さらには明治、大正、昭和、平成の近代・現代の日本の歩みにも目を向けて頂ければ−−と、83歳の誕生日を迎える老記者は願っています。

 これまで応援して下さった企業の皆様、新しく協賛して頂ける各社の皆様、協力の日本サッカーミュージアムに感謝しつつ、まずは日本サッカーアーカイブのKICK OFFとします。

2008年6月23日
賀川浩

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