日本サッカー史
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1916(大正5年)
ヨーロッパでの大戦争は激しさを増し、2月にヴェルダンの攻防戦、5月にユトランド沖海戦など歴史に残る大会戦があり、9月のソンム戦線には英軍に新兵器タンク(戦車)が出現した。戦勢は次第に英仏連合国側に傾き、ドイツはアメリカのウィルソン大統領に講和仲介の打診もしたが、すぐには実現しなかった。
そうした戦闘の合間、クリスマスに際してソンム戦線の英・独両軍兵士が互いに塹壕(ざんごう)から出て中間地帯でサッカーの試合をして、つかの間のクリスマス休戦という話が伝わっている。
後に英国の教科書にも掲載されたものだが、当時すでに欧州ではサッカーが各国共通の楽しみとなっていたことを示している。
日本のスポーツ界では、次の年の第3回極東大会開催に向けての準備が進み、陸上・水泳の選手たちは千葉県で合宿練習を行ない、秋に予選会を行なっている。
サッカーでも、関西で代表予選会を10月に鳴尾グラウンドで開き、明星商業、関西学院、同志社、姫路師範、御影師範が参加し、御影が優勝したが、結局、日程などの問題で参加は棄権したとの記録が残っている。
日本のサッカー
- 10月 関西で第3回極東大会代表予選会。御影師範が優勝したが日程上の問題で棄権
世界のサッカー
- 7月 7月2〜17日 アルゼンチンで第1回コパ・アメリカ(南米選手権)。ウルグアイが2勝1分けで優勝
ウルグアイ 4−0 チリ
アルゼンチン 6−1 チリ
アルゼンチン 1−1 ブラジル
チリ 1−1 ブラジル
ウルグアイ 2−1 ブラジル
アルゼンチン 0−0 ウルグアイ
主な大会
日本代表
主な出来事
日本の出来事
- 1月 極東テニス選手権(マニラ)で熊谷一弥がシングルス優勝
- 11月 裕仁親王、立太子礼を行なう
世界の出来事
- 3月 袁世凱が中華民国での帝制を断念
- 6月 袁世凱死去
関連項目
- “熱情的サッカー国”チリ
- カタール・サッカーの歴史は30年
- 独立と王室のバックアップ
- 南米で2番目に古いFA
- バルセロナのエレラ監督
- 1987年南米選手権でのチリ
- “走る日立”で日本を目覚めさせ 生涯・現場に生きたコーチ ロクさん、高橋英辰
- 第54回 高橋英辰(2)早大監督として“百姓一揆”で優勝。シンプルを追求したロクさん
- 日本サッカーの創生期から発展期まで、歴史とともに生きて歴史を伝えた大先達 新田純興(上)
- チョー・ディンもクラマーもW杯招致も。黎明期から重要な布石を打ち続けたドクター 野津謙(上)
- 国際舞台での初勝利からベルリンの逆転劇まで代表チームのリーダー 鈴木重義(上)
- 極東大会で活躍した名プレーヤー。JFAを支え、導いた 篠島秀雄(上)
- ウルグアイとの対抗試合
- サッカーは英国の鉄道人から
- エビ=カマローネス=カメルーン
- 世界の“常識”を求めて(26)
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