日本サッカー史
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1917(大正6年)
4月にアメリカがドイツに宣戦布告し、大戦は連合国側に大きく傾くが、それより前にロシアに2月革命が起こり、皇帝ニコライ二世は退位。ソビエト政府が誕生――王制派の巻き返しもありしばらく内戦が続く。
中国では孫文が広東(広州)で軍政府の樹立を宣言して北京政府と対立する。
ヨーロッパの大戦によって日本の景気は上昇し、海運業では、いわゆる船成金(ふななりきん)が生まれたほか、工業も発展して国民総生産も増えた。
一方では労働条件などの社会問題も論じられ、河上肇の「貧乏物語」なども読まれるようになった。
日本のスポーツ界にとっての初の国際総合競技大会開催となった第3回極東大会は、5月8日から東京・芝浦で開催され、日本は総合得点120点をあげて総合優勝。2位フィリピン(80)3位中華民国(49)だった。
日本は水泳で圧勝し、野球では早大チームがフィリピンに2戦2勝。テニスも熊谷一弥を中心に比・中を押さえた。陸上競技はフィリピンと合計得点が1点差というきわどいものだった。
ボールゲームは3種目とも最下位。サッカーは東京高師チームが出場したが、中華民国に0−5、フィリピンに2−15で敗れた。
大敗はしたが、この大会が刺激となってサッカーの普及が進み、急速なレベルアップにつながる。内野台嶺がこの年夏に東京の各師範学校のOB、東京高師OBに呼びかけ東京蹴球団を結成したのも、学校を出た後もサッカーを続けて実力を上げようという願いからだった。
日本のサッカー
- 5月 第3回極東大会。日本は2戦2敗
世界のサッカー
- 4月 グラスゴー・セルティックスがスコットランドリーグで15回目の優勝
- 10月 フランスカップはじまる
主な大会
日本代表
-
第3回極東大会
(東京・芝浦)
5月9日 日本 0−5 中華民国
5月10日 日本 2−15 フィリピン
※日本のゴールは北村(旧姓・藤井)春吉。国際舞台での最初の得点者
主な出来事
日本の出来事
- 5月 第3回極東大会。東京で開催
- 11月 陸軍二十五個師団、海軍八八艦隊の新国防案発表
世界の出来事
- 3月 ロシア皇帝退位(2月革命)
- 4月 アメリカがドイツに宣戦
- 6月 第1回全ロシア・ソビエト大会開く
- 9月 孫文が中国で広東軍政府樹立を宣言
- 10月 ロシア10月革命
関連項目
- 昭和の大先達・竹腰重丸(上)
- 大戦直後、ディナモの英国ツアー
- 19世紀末からサッカー
- 第16回 竹腰重丸(2)少年期は剣道 大連でサッカーに出会い山口高校でチョー・デインを知る
- 天皇杯を7度も獲得した名ストライカー 二宮洋一(上)
- ゴールを奪うMFで優しい指導者 歴史を掘り起こした記者 岩谷俊夫
- 第43回 二宮洋一(2)中学生でショートパスを覚えストライカーの技を磨いて慶応義塾で開花した
- 60歳を過ぎて県リーグ2部の公式試合――戦中派の代表 賀川太郎(中)
- 大日本蹴球協会(JFA)設立、全日本選手権開催。大正年間に組織作りを成功させた漢学者・内野台嶺
- 自らプレーヤーで指導者でもありサッカーに生涯を捧げた記者 山田午郎
- 日本サッカーの創生期から発展期まで、歴史とともに生きて歴史を伝えた大先達 新田純興(上)
- 旧制神戸一中の生徒たちを半日の指導で変身させたビルマ人留学生、大正期のクラマー チョー・ディン
- 国際舞台での初勝利からベルリンの逆転劇まで代表チームのリーダー 鈴木重義(上)
- 1927年の1勝を1936年のベルリンへつないだ卓越したリーダー 鈴木重義(中)
- 自らは優れたランナー。体協の筆頭理事で募金活動に腕を振るったJFA初代会長 今村次吉
- 華族で貴族院議員。ベルリン五輪へ代表を送り成果を挙げた、第2代JFA会長 深尾隆太郎
- 日本のビール王、戦後のサッカー再興の力に。第3代JFA会長 高橋龍太郎
- ノルウェーのデータ
- 第1回日本フートボール大会「サッカーとラグビーが同居」
- フットボールとトラチトリ
- 1930年極東大会「初の選抜ナショナルチーム」
- サッカーは英国の鉄道人から
- 南米チャンピオン9回
- '87コパ・アメリカでの驚き
- vol.21 ルーマニア
- 大正末期のショートパス(1)
- ショートパス開花と天性のストライカー 特別編
- 昭和初期のレベルアップ(1)
- 昭和初期のレベルアップ(4)
- フランクフルト:ルーニーのレッドカード、不得手なPK戦。先例の教訓は生きず、イングランド敗退
- 英国大使館の助力で関東大会開催。FAからの銀盃寄贈がJFA創設を促進
- 89年前の「天皇杯」第1回大会。優勝の東京蹴球団にFA銀盃
- 1927年第8回極東大会、チョー・ディンの弟子たちが初勝利
- 1930年第9回極東大会のために初の選抜代表チームを編成したJFA
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La Coupe de France(フランス・カップ)。フランス協会の専務理事を長く務めたシャルル・シモンを記念して「シャルル・シモン・カップ」ともいう。