日本サッカー史
日本サッカーアーカイブ ホーム > 日本サッカー史 > 1920(大正9年)
1920(大正9年)
4年間の世界大戦で中断されていたオリンピックが復活、8月にベルギーのアントワープで第7回大会を開催した。29ヶ国、2669人の参加。日本はストックホルム(1912年)以来、2回目の参加。テニスの熊谷一弥がシングルスで銀、柏尾誠一郎と組んでダブルスでも銀メダルを取り、極東大会での実績のうえにオリンピックのメダルを加えた。
サッカーは14ヶ国が参加し(欧州13、アフリカ1)ベルギーが優勝した。大戦前に2回連続優勝した英国は1回戦でノルウェーに敗れた。
サッカーの母国イングランドでは戦時体制をとき、1919−20シーズンから平常のスケジュールに戻し、このシーズンはウェストブロムウィッチ・アルビオン(WBA)が優勝。FAカップはアストン・ビラが獲得した。
日本国内のサッカーでは、前の年に似島(にのしま)のドイツ人捕虜チームとの交流でサッカーの技術を学んだ広島高師の田中敬孝が翌年から広島一中の教師となって指導。大正9年、10年、11年と神戸高商(現・神戸大学)主催の大会に出場して9年は決勝で敗れたが、10年と11年は優勝した。
ドイツ人捕虜から学んだ広島のサッカーは、関西地方にも影響を及ぼすことになる。
日本のサッカー
- 4月 東京帝大(東大)はこれまで第八高等学校(八高)出身者のチームで関東蹴球大会の模範試合に参加していたが、この年2月の第3回大会から八高出身者以外も参加するようになる(一高OBの野津謙、新田純興などが加わる)
- 4月 関西ではこの2年前に関西学院が蹴球部を創部、この年には高等部(旧制中学)も部活動をはじめる
世界のサッカー
- 8月 ベルギーのアントワープで第7回オリンピック大会開催。サッカーでベルギーが優勝
主な大会
日本代表
主な出来事
日本の出来事
- 1月 両国の国技館開館式
- 2月 第1回東京―箱根往復駅伝競走
- 5月 日本で初のメーデー。上野公園で
- 5月 シベリア出兵中の日本軍、パルチザンに敗れる(尼港事件)
- 6月 ウィンブルドンテニスに清水善造初参加。決勝でチルデンに惜敗
- 8月 第7回オリンピック・アントワープ大会。テニスで熊谷一弥がシングルス2位、熊谷・柏尾誠一郎ペアがダブルス2位
- 11月 明治神宮が完成、鎮座祭
世界の出来事
- 1月 国際連盟発足
- 2月 ドイツ労働党が国家社会主義ドイツ労働党(ナチス)と改称
- 8月 アメリカで女性参政権発動
- 11月 ジュネーブで国際連盟第1回総会(15日)
- 12月 アメリカ・カリフォルニア州で排日土地法の実施
関連項目
- 1920年アントワープ・オリンピックでのベルギー優勝
- 革命とともにスポーツも変革
- グラスゴーからベルファストへ
- 2つの大戦の後に新しい国家
- 南米で2番目に古いFA
- デンマークと五輪サッカー
- 対イングランドの“国際試合”
- ベルリンの奇跡の口火を切ったオリンピック初ゴール 川本泰三(中)
- どのポジションもこなした“天才”右近徳太郎
- 大日本蹴球協会(JFA)設立、全日本選手権開催。大正年間に組織作りを成功させた漢学者・内野台嶺
- 日本サッカーの創生期から発展期まで、歴史とともに生きて歴史を伝えた大先達 新田純興(上)
- 国際舞台での初勝利からベルリンの逆転劇まで代表チームのリーダー 鈴木重義(上)
- 自らは優れたランナー。体協の筆頭理事で募金活動に腕を振るったJFA初代会長 今村次吉
- 華族で貴族院議員。ベルリン五輪へ代表を送り成果を挙げた、第2代JFA会長 深尾隆太郎
- 企業チームの部長としてチームをナンバーワンに。第7代JFA会長 島田秀夫
- ノルウェーのデータ
- サッカーは階層をこえて
- ヒルトンの“チップス先生”に登場するサッカー
- ウェンブリーの大混雑に見た英国人の冷静さ
- エバートンとW・ディーン
- アンダルシアの太陽とバスクの「最古」サッカー・スタジアム
- マラドーナを見た後町中はフォゲレスと呼ぶ祭りのピークだった
- 度重なる戦火を外国人として経験された林屋大使から丁重なご招待
- 決勝を前に、改めてサッカーの世界もまんざらではないと思った…
- フランス・サッカー100年史展に秘められた合理性
- 小国の手づくりの”機略”が超大国を破る波乱の決勝ラウンドの幕開け
- 南米チャンピオン9回
- vol.1 イタリア(上)
- vol.5 オランダ(上)
- vol.6 オランダ(下)
- サッカーはカリブ海から
- エビ=カマローネス=カメルーン
- vol.22 スウェーデン
- vol.31 フランス(下)
- オリンピックのコロシアムで 7月14日
- ボルドーとジレス、ティガナ、ジダン、リザラズ、そして木村和司
- 大戦争前の光彩(7)
- フリッツ・バルターへの弔意
- フェレンツ・プスカシュ(7)キャリア晩年の輝き 〜レアルで築いた不滅の大記録〜
- 全国優勝大会の大正末期の技術進歩。ドイツ捕虜との交流で進化した広島
- スコットランド流のパスゲームを強調したチョー・ディンの指導
- 左利きの本田圭佑の進化から。俊足、バネのある体で人気のあった草分け的レフティー 加納孝(上)
フォトライブラリ
写真をクリックすると拡大表示されます。

オリンピック・アントワープ大会ポスター。円盤を投げる選手と各国国旗を組み合わせた大会ポスター。日の丸も入っていた。この大会から五輪のマークのオリンピック旗も使用された。