日本サッカー史
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1924(大正13年)
中華民国では孫文の国民党の北伐軍が北上をはじめ、5月には清朝最後の皇帝・溥儀が北京の日本公使館に避難するなど、ようやく、国民党中心におさまりを見せたが、いぜん軍閥は力を持ち、また共産党も勢力を増していた。日本では皇太子裕仁親王のご成婚があり、関東大震災の痛手から明るいムードへの兆しが見えた。
関西では阪神電鉄が企画した巨大な野球場が夏に完成、この年がいわゆる「干支(えと)」十干十二支のそれぞれの最初の甲(きのえ)と子(ね)が60年ぶりに出合う年回りになっていたところから、甲子園球場と名づけた。
外野を広くとり、野球だけでなくサッカーやラグビーにも使用したいとの案も持っていた。
東京では明治神宮外苑競技場が竣工し、第1回明治神宮競技大会が行なわれた。東と西に新しい中心施設が誕生して、スポーツ熱は高まってゆく。
ヨーロッパでは冬のオリンピックが初めてフランスのシャモニーで開かれ、夏には第8回オリンピック・パリ大会が開催された。
そのサッカー競技では南米のウルグアイが、すばらしいテクニックを見せて優勝。ノックアウト制の1回戦から決勝までの5試合の得点合計20、失点2という圧倒的なスコアだった。
また、この年サッカーのルールが改正され、「CK(コーナーキック)からの直接ゴール」が認められた。
日本のサッカー
- 1月 第2回全国高等学校大会で早稲田高等学院が連続優勝
- 2月 関東大震災により延期された第3回天皇杯(全国優勝大会)を開催、アストラクラブが優勝
- 10月 第4回天皇杯は、第1回明治神宮大会の蹴球の部として行なわれ、鯉城クラブが優勝
世界のサッカー
- 7月 パリ・オリンピックでウルグアイが初優勝。参加22ヶ国、ノックアウト制
1回戦 7−0 ユーゴスラビア
2回戦 3−0 アメリカ
準々決勝 5−1 フランス
準決勝 2−1 オランダ
決勝 3−0 スイス
主な大会
-
第2回全国高等学校大会早高が優勝(1月3〜5日、11校参加)
決勝 早稲田高等学院 3−1 第八高校 -
第1回早慶定期戦早大が勝利(戸塚)
早大 2−0 慶大 -
第1回関西専門学校リーグ(現・関西学生リーグ)関大が優勝(3校参加)
(1)関大 1勝1分け
(2)神戸高商 1勝1敗
(3)関学大 1分け1敗
※23年開催を24年1月に。第2回はこの年11月に開催 -
第3回全国優勝大会(現・天皇杯)※1923年は関東大震災の影響により中止、1924年2月に開催
-
第4回全国優勝大会(現・天皇杯)鯉城クラブが優勝
決勝 鯉城クラブ 4−1 全御影師範クラブ -
第2回関西専門学校リーグ(現・関西学生リーグ)関大が優勝(3校参加)
(1)関大
(2)関学大
(3)神戸高商 -
第1回東京カレッジリーグ1部6校 早大が優勝(1924年11月22日〜1925年2月15日)
(1)早大 4勝1敗
(2)東大 3勝1分け1敗
(3)法大 2勝1分け2敗
(4)東京高師 2勝1分け2敗
(5)慶大 0勝3分け2敗
(6)農大 1勝0分け4敗
2部6校
(1)一高 4勝1分け
日本代表
主な出来事
日本の出来事
- 1月 皇太子裕仁(昭和天皇)久邇宮良子と結婚。ご成婚記念に上野公園と動物園を東京市に下賜
- 4月 大阪毎日新聞社主催、第1回選抜中等学校野球大会開催
- 8月 甲子園球場竣工
- 10月 明治神宮外苑競技場が完成
世界の出来事
- 1月 フランス・シャモニーで第1回冬季オリンピック大会開催。16ヶ国294人が参加
- 7月 第8回オリンピック・パリ大会開催
関連項目
- 昭和の大先達・竹腰重丸(上)
- 昭和の大先達・竹腰重丸(中)
- バルカン半島の複雑さ
- 昭和の大先達・竹腰重丸(下)
- サッカーの話をしよう 〜「ライブラリー」に刻む旅 若い世代の知的資産に〜 By大住 良之
- 時代を見通した博覧強記 田辺五兵衛(中)
- 南米で2番目に古いFA
- ベルリンの奇跡の口火を切ったオリンピック初ゴール 川本泰三(中)
- チーム指導と会社経営 生涯に2度成功したサッカー人 河本春男(上)
- チーム指導と会社経営 生涯に2度成功したサッカー人 河本春男(下)
- 天皇杯を7度も獲得した名ストライカー 二宮洋一(上)
- 75年前の日本代表初代ストライカー。すり抜ける名手 手島 志郎
- 殿堂入り歴代会長と第6代藤田静夫(上)
- 自らプレーヤーで指導者でもありサッカーに生涯を捧げた記者 山田午郎
- 伝統的な哲学を持ちつつ日本のサッカーとスポーツの国際化を図ったドクター 野津謙(下)
- 国際舞台での初勝利からベルリンの逆転劇まで代表チームのリーダー 鈴木重義(上)
- 1927年の1勝を1936年のベルリンへつないだ卓越したリーダー 鈴木重義(中)
- 大戦前の4年間、光彩を放った慶應義塾のソッカーを築いた 松丸貞一(上)
- JFA創立から20年間の急成長を彩った稀有のチームリーダー 松丸貞一(下)
- 自らは優れたランナー。体協の筆頭理事で募金活動に腕を振るったJFA初代会長 今村次吉
- 日本のビール王、戦後のサッカー再興の力に。第3代JFA会長 高橋龍太郎
- 1936年ベルリン五輪 スウェーデン戦逆転劇のキャプテン 竹内悌三
- 30年極東大会、36年五輪。2つのビッグイベントを勝ち抜いた名FB 竹内悌三(続)
- パリ・オリンピックの刺激
- 昭和4年、個性的な甲子園南運動場の誕生
- 1930年ウルグアイW杯「W杯開催とセンテナリオ競技場」
- 1936年ベルリン・オリンピック「優勝候補スウェーデンと対戦」
- 1938年フランスW杯「ブラジルの評価高まる」
- ラプラタに憶う
- アラスカ上空、大戦とサッカーとスペイン82でのブラジル、西ドイツ、アルゼンチンを想う
- フランス・サッカー100年史展に秘められた合理性
- 40年前の夏の思い出から始まったサッカーの旅
- 8万人収容のエスタジオ・センテナリオ
- vol.1 イタリア(上)
- vol.2 イタリア(中)
- 第5回 ウルグアイ対アルゼンチンは南米で最もクラシックで歴史的な対戦の一つである
- vol.6 オランダ(下)
- サッカーはカリブ海から
- 加藤正信先生のこと
- vol.21 ルーマニア
- vol.22 スウェーデン
- 第1回大会からW杯を全て取材先輩記者ルセロ氏
- オリンピックのコロシアムで 7月14日
- サッカー 故里の旅 第7回 大金星だけで終わらないで。アトランタ、東京、ベルリン、30周年期の五輪
- 素晴らしきサッカー仲間たち
- 兄は少年野球の三振奪取王
- 大正末期のショートパス(1)
- 昭和初期のレベルアップ(1)
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