日本サッカー史

日本サッカーアーカイブ ホーム > 日本サッカー史 > 1926(昭和元年)

1926(昭和元年)

 1923年冬にスタートした全国高校蹴球大会(インターハイ)の効果が現れ、高校3年間の練習でたくましくなったプレーヤーが東大に集まってきた。この年10月からの関東大学リーグで東大が初優勝。中心となったのが山口高校時代にチョー・ディンに師事した“ノコさん”こと竹腰重丸。東大はこの第3回から第8回まで関東大学リーグで6年連続優勝を遂げる。
 体力や技術の練習だけでなく、戦術論、技術論が学生たちの間で論じられ、それが各校へ、さらに全国へと広まった。
 京都大学(京大)にもインターハイ経験者が入学し、1925年に蹴球部が誕生して関西学生リーグに加盟、また、東大との定期戦も組まれた。

 1月に甲子園で行なわれた第9回日本フートボール大会は、主催の毎日新聞社が予選制をとり、関東、東海、北陸、京津奈(京都・滋賀・奈良)阪和(大阪・和歌山)兵庫、中国、朝鮮の8地域の予選を勝ち抜いたチームが甲子園に集まった。
 優勝は兵庫代表の御影師範。予選ではライバルの神戸一中を4−2で倒し、本大会でも1回戦で朝鮮地方代表の培材中学を3−0で破り、準決勝では京都師範、決勝は広島一中を破って初の全国制覇を果たした。第1回から数えて8回目の優勝となる。
 12月25日に大正天皇が崩御し裕仁親王が践祚(せんそ)、昭和と改元した。次の年の1月に予定された第10回大会は中止となった。

 8月にスウェーデンで開催された世界女子陸上大会で、人見絹枝が走り幅跳び5メートル50センチの世界新記録で優勝。女子選手の初の国際大会優勝である。

 オフサイドルールの変更により、イングランドのリーグはゴール数が大幅増。各クラブは守備対策に苦心する。

日本のサッカー
  • 1月 第9回日本フートボール大会は、このときから予選制をとる全国大会に。8地区代表が甲子園に集まる。名称も、全国中等学校蹴球選手権大会となる
  • 10月 関東大学リーグで東大が優勝。黄金期のスタート
  • 11月 第6回全国優勝大会(現・天皇杯)が中止に
世界のサッカー

主な大会

  • 第9回全国中等学校蹴球選手権
    優勝:御影師範(甲子園、8地区代表が参加 ※元・日本フートボール大会)
     1回戦   3−0 培材中(朝鮮)
     準々決勝 2−1 京都師範
     決勝    1−0 広島一中

  • 第3回関東大学リーグ
    1部6校 東大が優勝(10月7日〜1927年4月)
    (1)東大    4勝1分け
    (2)法大    3勝2敗
    (3)早大    2勝1分け1敗
    (4)東京高師 2勝3敗
    (5)一高    1勝1分け2敗
    (6)農大    1分け4敗

  • 第4回関西学生ア式蹴球連盟戦(現・関西リーグ)
    7校 関学大が優勝(11月12日〜)
    (1)関学大    6勝
    (2)神戸高商   5勝1敗
    (3)関大     3勝3敗
    (4)京大     3勝3敗
    (5)大阪外大  2勝1分け3敗
    (6)和歌山高商 1勝1分け4敗
    (7)神戸高工  6敗

日本代表

主な出来事

日本の出来事
  • 8月 社団法人日本放送協会設立
  • 8月 人見絹枝、スウェーデンの第2回国際女子競技大会で快挙
  • 12月 大正天皇崩御。摂政の裕仁親王が践祚。元号を昭和に改める
世界の出来事
  • 11月 中国で国民政府が武漢遷都
  • 11月 ソ連共産党中央委員会がトロツキー、ジノビエフを政治局から追放

フォトライブラリ

写真をクリックすると拡大表示されます。

竹腰重丸

東大の中心、竹腰重丸(中央)

このページの先頭に戻る