日本サッカー人物史
日本サッカーアーカイブ ホーム > 日本サッカー人物史 > 渡辺正
渡辺正 [Masashi WATANABE]
日本サッカー殿堂
1936年1月11日、広島県生まれ
広島市立基町高校、八幡製鐵(1954〜58、62〜71年。1970年から新日本製鐵)立教大学でプレー。立教大学では、1959年度関東大学リーグ、東西学生王座決定戦優勝
1957年に日本代表初キャップ。1970年まで主にFWとして活躍。1964年の第18回オリンピック競技大会(東京)1968年の第19回大会(メキシコシティ)に出場し、メキシコ・オリンピックでは、ブラジル戦の同点ゴールを含む2得点を挙げ、3位決定戦(対メキシコ)では中盤の起点役として活躍した。また、ローマオリンピック予選、FIFAワールドカップ・チリ、メキシコ両大会予選、アジア競技大会(1966年第5回大会では3位)などに出場。Aマッチ出場39試合、12得点
1962年に再入社した八幡製鐵では、1963、64年度全日本実業団選手権2連覇、1964年度天皇杯全日本選手権優勝。JSLでは79試合出場、19得点(1965〜71年)。1965、67年度主将。1968年度年間優秀11人賞受賞
1968年八幡製鐵コーチ、1969〜75年には監督を務める(71年まで選手兼任)
1971年からは、日本代表Bチーム、日本ユース代表(1973年第15回アジアユース大会準優勝)日本ジュニア代表、日本選抜などの監督を歴任。1979年、下村監督のもと日本代表コーチを務め、翌1980年5月、代表の再建を目指して日本代表監督に就任。しかしながら同年秋、病にたおれ、志半ばで監督を退いた
1995年没
2006年 第3回日本サッカー殿堂入り
イントロダクション
編集中プロフィール
編集中関連項目
- 第2回 釜本邦茂(2)抜群のヘディングパスと最も美しいキックフォーム
- 利き足から左足へ
- ヘディングシュート
- ベルリンの奇跡の口火を切ったオリンピック初ゴール 川本泰三(上)
- デットマール・クラマー(中)
- デットマール・クラマー(下)
- 第21回 杉山隆一(3)メキシコへの道を開くゴールを決め、メキシコ銅メダルのゴールへのパスを送る
- 20世紀日本の生んだ世界レベルのストライカー 釜本邦茂(上)
- 20世紀日本の生んだ世界レベルのストライカー 釜本邦茂(下)
- 20世紀日本の生んだ世界レベルのストライカー 釜本邦茂(続)
- 世界を驚かせた日本サッカー・俊足の攻撃リーダー杉山隆一(上)
- 世界を驚かせた日本サッカー・俊足の攻撃リーダー杉山隆一(下)
- W杯開催国の会長、IOC委員――日本スポーツ界の顔 岡野俊一郎(続)
- メキシコ・オリンピックの8ヶ月前に釜本邦茂の劇的開花を助けた西独の名コーチ ユップ・デアバル
- 速さの杉山とともに成長したアジアユース1期生 宮本輝紀(上)
- 八幡製鉄で自ら鍛え杉山、釜本とともに銅メダルチームの核となった 宮本輝紀(下)
- vs渡辺正 日本サッカーは当面の目標を打倒韓国に絞るべきだ 〜ゴール前のスペシャリストといわれたガッツマンが語る現在の日本サッカー〜 <new!>
- ベルリンとブエノスアイレス
- ローマ、東京、メキシコ(7)
- ローマ、東京、メキシコ(19)
- ローマ、東京、メキシコ(21)
- ベルリン→ニュルンベルク:カカーの右足シュートの確かさと負けても粘るクロアチアの執着心
- エウゼビオ(8)68年メキシコ五輪の得点王釜本が抑えの利いたシュートを学んだ
- ユルゲン・クリンスマン(13)両足のシュート、ヘディングのうまさ、体の強さ、チームの芯になるストライカー
- 釜本邦茂(11)名門アーセナルのお株を奪う「アーセナル・ゴール」。メキシコ五輪へ着々と
- 釜本邦茂(14)メキシコ五輪B組、対ブラジル。ヘディングパスで渡辺正の同点ゴールを生み出す
- 釜本邦茂(17)68年オリンピック3位決定戦、開催国メキシコ相手に2ゴール
- 釜本邦茂(18)メキシコ五輪3位決定戦。試合後にベッドへ倒れ込んで動かず、死力を尽くしたイレブンにクラマーも感動
- 本番の1年前、ブラジルのパルメイラスを相手の守備戦術のシミュレーション。メキシコ銅メダルのヒーロー 鎌田光夫(中)
- 古希を前に、なお現場に立つメキシコ五輪銅メダリスト 松本育夫(上)
- マインツ・岡崎慎司の成長と 46年前の五輪銅メダリストの“ひたむき”ゴール 渡辺 正(上)
- 1956年天皇杯でキラリと光ったスピード “東京”の後も続く“代表”への情熱 渡辺 正(中)
- アーセナルでゴールを決めた釜本とともに 銅メダル獲得の攻撃の先頭に立ったFW 渡辺 正(下)
- 「日本の銅メダルは生涯の誇り」とした 天才サッカー指導者 デットマル・クラーマー
- 岡崎慎司(下) 相手の脅威となる点取り屋
- 日本代表監督の交代劇(後篇)
フォトライブラリ
写真をクリックすると拡大表示されます。

日本サッカーミュージアムの殿堂に掲額された肖像プレート (C) J. LEAGUE PHOTOS

1960年日本代表ヨーロッパ遠征のメンバープログラム(表紙)

1960年日本代表ヨーロッパ遠征のメンバープログラム

1959年、関東大学リーグ優勝の立教イレブン。全列右から2人目が渡辺正

1964年10月、東京オリンピックのとき、選手村で。 写真提供:鎌田光夫氏

「日独国際サッカー親善試合」日本対西ドイツ(1963年10月20日、西京極球技場)の公式プログラム。両チームのメンバーリスト

1963年10月20日、西京極球技場で行なわれた「日独国際サッカー親善試合」日本対西ドイツのプログラム(表紙)

「日英交歓サッカー」アーセナル対日本(1968年5月、国立他)の日本代表メンバー。公式プログラムより

「日英交歓サッカー」アーセナル対日本(1968年5月、国立他)の公式プログラム表紙

1962年ワールドカップ(チリ大会)のアジア予選、対韓国戦の試合前。中央左、竹腰重丸監督。その右はデットマール・クラマー コーチ

1963年夏、デュイスブルクで。後列左から竹腰重丸団長、宮本征勝、小沢通宏、一人おいて横山謙三、デットマール・クラマー、鎌田光夫、長沼健、保坂司、鈴木良三、外国人選手をはさんで川淵三郎、釜本邦茂、片山洋、小城得達。前列左から岡野俊一郎コーチ、一人おいて上久雄、山口芳忠、宮本輝紀、杉山隆一、富沢清司、継谷昌三、八重樫茂生、渡辺正

1967年10月10日、メキシコ五輪・アジア地区予選の最終戦で南ベトナムを破って優勝。試合後、日の丸を掲げて場内を一周してスタンドの歓声を浴びる日本代表

1968年メキシコ五輪アジア予選の公式プログラム(表紙)

1968年メキシコ五輪アジア予選の公式プログラム、日本代表メンバーの紹介ページ

1968年メキシコ五輪、表彰式で銅メダルを受け取る日本代表チーム。左から、岡野俊一郎コーチ、GK浜崎昌弘 、松本育夫、釜本邦茂、桑原楽之、渡辺正、宮本輝紀、湯口栄蔵、小城得達、森孝慈、富沢清司、鈴木良三、鎌田光夫、山口芳忠