日本サッカー人物史
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松本育夫 [Ikuo MATSUMOTO]
日本サッカー殿堂
1941年11月3日、栃木県生まれ
1960年第2回アジアユース大会に出場し3位に貢献。早稲田大学に入学後18歳で日本代表に抜擢される
4年の時には、関東大学リーグ、全日本大学選手権、天皇杯全日本選手権優勝の三冠
東洋工業では快速の左ウイングとしてJSL4連覇(1965〜68年)を支え、メキシコオリンピックの日本代表では主として右ウイングでプレーし、3位決定戦を含む4試合に出場、チームの銅メダル獲得に貢献。豊富な活動量を生かして攻守両面でコンスタントに活躍し、長沼健監督からの厚い信頼を受けた。日本代表として58試合出場、7得点(1960〜69年)
JSLでは優勝5回(1970年優勝時は主将。東洋の優勝回数5は読売と並びJSL記録)、天皇杯全日本選手権優勝3回
1966年JSLスターボール賞、JSL年間優秀11人賞受賞。JSL1部(東洋)88試合出場、31得点(1965〜73年)
引退後は指導者となり、東洋工業コーチを経て1976年監督。サッカー人気が低迷するなか、日本で開催された1979年の第2回ワールドユース大会(現・FIFA U-20ワールドカップ)では日本ユース代表の監督を務め、1次リーグ敗退に終わったものの、闘志あふれる試合を実現して日本中の若い世代を熱狂させ、希望をつないだ
1990年代以降には川崎フロンターレ、サガン鳥栖などの監督を歴任、情熱的な指導で川崎をJ1昇格に導き、鳥栖もJ2の上位に引き上げた。サッカーを愛する若者たちを全身全霊で導く姿は、現代のサッカーにおいて非常に尊いものといえる
2009年 第6回日本サッカー殿堂入り
イントロダクション
編集中プロフィール
編集中関連項目
- デットマール・クラマー(中)
- 75歳を超えてなお現場に立つ“鉄の人” デットマール・クラマー(続)
- 世界を驚かせた日本サッカー・俊足の攻撃リーダー杉山隆一(上)
- 早稲田の“主” 工藤孝一(上)
- 後進地・岩手から銅メダル・チームのキャプテンを生み出した 工藤孝一(下)
- 攻守兼備のMF 努力の人 小城得達(下)
- 第46回 デットマール・クラマー(2)“鉄人”と呼ばれた気配りの達人
- 日本が生んだ国際クラスのゲームメーカー 八重樫茂生(上)
- 日本サッカーリーグの創世記をリードした東洋工業
- マルデルプラタ 寒い南風
- 1979年ワールドユース「19歳のマラドーナに驚き、世界のレベルを知った」
- 脅威のベルギーとシーフォ、そして選手育成について
- 余裕の西ドイツと大ポカ、そして回想のステアウア
- フリッツ・バルターへの弔意
- 決勝当日に、あらためて思う。歴史を作ったデットマール・クラマー
- フランクフルト→デュッセルドルフ:大会はドイツ、イタリア、フランス、ポルトガルの欧州4強の戦いに
- 釜本邦茂(4)早大1年から大学リーグ得点王。長期合宿で鍛えて、20歳でオリンピック代表CFに
- 釜本邦茂(12)オデッサでの35mシュート、ボルシア・MGからもゴール。進歩の証を重ねてメキシコへ
- 釜本邦茂(13)メキシコ五輪B組第1戦、ナイジェリアを相手にハットトリック
- 釜本邦茂(14)メキシコ五輪B組、対ブラジル。ヘディングパスで渡辺正の同点ゴールを生み出す
- 【番外編】日本代表欧州遠征、第2戦ガーナ戦から
- 世界のサッカー国を相手に銅メダル獲得。メキシコ五輪の地味なヒーロー 鎌田光夫(上)
- 古希を前に、なお現場に立つメキシコ五輪銅メダリスト 松本育夫(上)
- 東京五輪代表漏れの挫折を東洋工、右サイドのプレーで克服。メキシコ五輪での銅につないだ 松本育夫(中)
- 爆発事故の死線を越えて。J2サガン鳥栖でも明るく闊達な指導 松本育夫(下)
- マインツ・岡崎慎司の成長と 46年前の五輪銅メダリストの“ひたむき”ゴール 渡辺 正(上)
- アーセナルでゴールを決めた釜本とともに 銅メダル獲得の攻撃の先頭に立ったFW 渡辺 正(下)
- 修道高校を全国優勝、東洋工業で日本リーグ5回優勝 “東京”後のサッカーをリードした監督 下村幸男(下)
フォトライブラリ
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「日独国際サッカー親善試合」日本対西ドイツ(1963年10月20日、西京極球技場)の公式プログラム。両チームのメンバーリスト

1963年10月20日、西京極球技場で行なわれた「日独国際サッカー親善試合」日本対西ドイツのプログラム(表紙)

「日英交歓サッカー」アーセナル対日本(1968年5月、国立他)の日本代表メンバー。公式プログラムより

「日英交歓サッカー」アーセナル対日本(1968年5月、国立他)の公式プログラム表紙

1990年ワールドカップ・イタリア大会で、テレビ解説者として観戦する松本育夫氏

2009年9月10日、日本サッカー殿堂第6回掲額式典。高円宮妃殿下を中央に、左から犬飼基昭JFA会長、表彰を受けた松本育夫、丸山義行の両氏。右端は高橋英辰さんのお嬢さん、その隣は大谷四郎さんの長男・亮介氏

犬飼基昭会長(左)からレプリカを受ける松本育夫氏

第6回掲額の松本育夫さん(右)。犬飼基昭会長と

松本育夫さん(右)。司会進行の金子勝彦アナウンサーに古い記念品を見せられたが思い出すことができなかった

2009年9月、掲額式典で。殿堂入りした松本育夫さん(中央)と。左、賀川浩、右、二村昭雄さん

1962年ワールドカップ(チリ大会)のアジア予選、対韓国戦の試合前。中央左、竹腰重丸監督。その右はデットマール・クラマー コーチ

メキシコ五輪予選(日本3−3韓国)。韓国の守りをドリブルで突破した釜本が強烈なシュートをニアポストへ決め、日本は3−2とリード

1968年メキシコ五輪、表彰式で銅メダルを受け取る日本代表チーム。左から、岡野俊一郎コーチ、GK浜崎昌弘 、松本育夫、釜本邦茂、桑原楽之、渡辺正、宮本輝紀、湯口栄蔵、小城得達、森孝慈、富沢清司、鈴木良三、鎌田光夫、山口芳忠

1968年メキシコ五輪アジア予選の公式プログラム(表紙)

1968年メキシコ五輪アジア予選の公式プログラム、日本代表メンバーの紹介ページ

1960年日本代表ヨーロッパ遠征のメンバープログラム(表紙)

1960年日本代表ヨーロッパ遠征のメンバープログラム

第2回アジアユース大会、日本代表のメンバー表(表紙)

第2回アジアユース大会、日本代表のメンバープログラム