日本サッカー人物史
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落合弘 [Hiroshi OCHIAI]
日本サッカー殿堂
1946年2月28日、埼玉県生まれ
16シーズン、260試合連続出場という大記録を打ち立てたJSL時代の「鉄人」
強豪浦和市立高校では、全国高校選手権で活躍し2年連続の優秀選手に選出される
1963〜65年まで3年連続日本ユース代表としてアジアユース大会に出場し、13試合で5得点を挙げた。ミドルシュートとヘディングシュートを武器とする攻撃的MFとして期待を集め、1966年にはヨーロッパ遠征で日本代表デビューを果たす。DFに転身後は、攻撃力だけでなくカバーリング、1対1の強さを発揮し、サイドバック、センターバック、守備的MFなどのポジションをこなすことのできる選手として活躍した
モントリオールオリンピック予選、FIFAワールドカップアルゼンチン大会予選、モスクワオリンピック予選などに出場し、1980年まで日本代表として126(Aマッチ63)試合出場、17(Aマッチ9)得点
JSL(三菱重工)では267試合出場(歴代2位)56得点(1966〜84年)。1969年度JSL1部で初優勝し、得点王に輝く
JSL1部優勝4回、天皇杯全日本選手権優勝4回JSL年間優秀11人賞10回受賞。1978年度はJSL1部、JSLカップ、天皇杯の3冠を獲得し、自身も年間最優秀選手賞を受賞した
日本代表の厳しい時代が続くなかで先頭に立って戦い、同時に所属の三菱も数々のタイトルに導くなど大きな足跡を残した
1988〜92年日本代表コーチ、1992〜93年浦和レッズコーチ
2003年より浦和レッズハートフルクラブキャプテンを務める
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日本サッカーミュージアムの殿堂に掲額された肖像プレート

2010年9月10日、日本サッカー殿堂第7回掲額式典。高円宮妃殿下を中央に、左から小倉純二JFA会長、表彰を受けた故・ネルソン吉村氏の長男・誠一氏、落合弘氏、鈴木良三氏、浅見俊雄氏、大畠襄氏、賀川浩 (C)STUDIO AUPA

小倉純二JFA会長(左)から記念プレートを贈られる落合弘氏 写真提供:木村裕文氏

掲額式典後のパーティで、第7回掲額者 落合弘氏とそのご家族。左から2人目が落合氏。その右、大仁邦彌JFA副会長、高円宮妃殿下、篤子夫人、小倉純二JFA会長。右端は岡野俊一郎元JFA会長 写真提供:木村裕文氏

第7回日本サッカー殿堂入りした賀川浩(右)と落合弘氏

1972年1月1日、第51回天皇杯決勝(国立)でヤンマーを3−1で破り優勝した三菱重工。右から2人目が片山洋主将。その左、GK横山謙三、一人おいて大久保賢司、大仁邦彌、森孝慈、落合弘、足利道夫、細谷一郎、高田一美、高橋公平、杉山隆一 提供:片山洋氏

1970年、南米遠征した三菱重工。右から杉山隆一、大仁邦彌、2人おいて森孝慈、細谷一郎、落合弘。一人おいて横山謙三、片山洋キャプテン 提供:片山洋氏