日本サッカー人物史
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河本春男 [Haruo KAWAMOTO]
日本サッカー殿堂
1910年3月28日、愛知県生まれ
刈谷中学(現・刈谷高校)と東京高等師範(現・筑波大学)でボールを蹴ることに熱中し、1932年の卒業とともに神戸一中(現・神戸高校)の体育教師、サッカー部の副部長に。1939年に岡山女子師範へ転任するまでの7年間に、全国優勝4回、準優勝1回と黄金期を作った
その影響は転任後にも及び、神戸一中はその後の4年間で全国大会(明治神宮大会)に3度優勝。戦後第1回のアジア大会(ニューデリー)に参加した日本代表16人中10人が、神戸一中の出身であった
OBと現役を一つにまとめあげた「神中クラブ」の組織化、東西対抗の開催など功績は多岐にわたり、1937年に編集・発行した『神戸一中蹴球史』は単に一つの中学の部史というだけでなく、日本のサッカー史にとって貴重な文献となっている
1941年召集、1943年復員。岐阜県体育主事を経て、1947年から商人の道へ。1958年、アルプスバター神戸直売所設立
その後、ユーハイムのカール・エリーゼ夫人に人柄を見込まれ、1962年から専務、社長を歴任。再興に尽くし、事業を拡大して現在の隆盛の基礎を築いた
経営者となってからも神戸市サッカー協会や神戸フットボールクラブの会長を長く務め、サッカーに関わり続けた
2004年没
編集:日本サッカーアーカイブ
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イントロダクション
編集中プロフィール
- 1910年 3月28日愛知県に生まれる
- 1923年 4月、愛知県立刈谷中学校入学、1年からサッカー部に
- 1926年 3年生でレギュラー。八高主催の全国大会で優勝
- 1928年 刈谷中学卒業。東京高等師範学校入学
- 1932年 東京高等師範卒業、神戸一中の体育教諭、サッカー部副部長に
- 1937年 『神戸一中蹴球史』編集発行
- 1939年 岡山女子師範学校へ転任
- 1941年 召集、中国大陸へ
- 1943年 除隊、岐阜県体育主事に
- 1947年 退職し商人に
- 1958年 アルプスバター神戸直売所を設立
- 1962年 (株)ユーハイム代表取締役専務となる
- 1964年 東京オリンピック開催、洋菓子ブーム
- 1966年 愛知県安城工場(敷地5千坪)建設
- 1971年 エリーゼ・ユーハイム社長死去の後、同社社長に就任
- 1975年 長男・武が専務に就任
- 1976年 ドイツ・フランクフルトのゲーテハウスに第1号店出店
- 1979年 神戸FC会長に就任
- 1985年 ユーハイム会長に就任、新社長は長男・武
- 1997年 神戸FC名誉会長
- 2000年 ユーハイム会長をはじめ、一切の公職も辞し、隠居生活に
- 2004年 1月27日、肺炎のため逝去。満94歳
関連項目
- 普及と興隆の機関車となった偉大なドクター 加藤正信(中)
- 普及と興隆の機関車となった偉大なドクター 加藤正信(続)
- チーム指導と会社経営 生涯に2度成功したサッカー人 河本春男(上)
- チーム指導と会社経営 生涯に2度成功したサッカー人 河本春男(下)
- 【番外編】ワールドカップ一周年 日本サッカーの質の変化
- 最初のショートパス経験者 昭和5年の日本代表 校長でサッカー・コーチ 高山忠雄
- 60歳を過ぎて県リーグ2部の公式試合――戦中派の代表 賀川太郎(中)
- vol.26 ドイツ(上)
- 神戸フットボールクラブ 20年のあゆみ
- 兄は少年野球の三振奪取王
- 野球からサッカーへ
- ベルリン・オリンピック そのあとさき(2)
- ベルリン・オリンピック そのあとさき(3)
- 大戦争前の光彩(2)
- 大戦争前の光彩(3)
- 大戦争前の光彩(5)
- 神戸一中とドイツ菓子ユーハイムで成功した河本春男さん
- 日本的組織プレーとストライカー 30年と36年の成功の理由
- 全国中学選手権に朝鮮代表が参加 ベルリン以後の進化を示す
- 神戸一中vs崇仁商業に見る 戦前黄金期のU-17
- 一浪中の個人練習で腕を上げ、神戸経大の主となり 日本代表となった戦中派 則武 謙(上)
- 金子彌門 旧制中学生でサッカー、ラグビーの 全国大会二冠を目前に
- サッカーチームの監督とは?
フォトライブラリ
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河本春男18歳。1928年東京高等師範学校入学のとき 写真提供:(財)ユーハイム体育・スポーツ振興会

河本春男先生。昭和7年4月、神戸一中へ 写真提供:(財)ユーハイム体育・スポーツ振興会

河本春男(右端)。昭和6年1月、東京高師3年のとき

昭和5年、河本春男(前列左から2人目)東京高師2年のとき 写真提供:(財)ユーハイム体育・スポーツ振興会

神戸一中教師時代。1935年1月2日、大尾根スキー場にて。右から2人目が河本春男先生 写真提供:(財)ユーハイム体育・スポーツ振興会

河本春男先生。1935年、神戸一中教師時代 写真提供:(財)ユーハイム体育・スポーツ振興会

河本春男。昭和11年4月2日、新婚旅行で奈良へ。右は潤子夫人 写真提供:(財)ユーハイム体育・スポーツ振興会

昭和25年、河本一家。右から父・春男、長男・武、長女・知子、次女・和枝、母・潤子 写真提供:(財)ユーハイム体育・スポーツ振興会

河本春男先生が編集発行した『神戸一中蹴球史』(1932年)

昭和10年全国優勝祝賀会(平和楼)。座っている左端が大谷四郎、その左後方(立っている)は兄の大谷一二。中央奥は池田多助校長、旗の右が河本春男部長

神戸一中、昭和10年度部員送別会。前列左から2人目が大谷四郎主将。中央、河本春男先生、その右2人目 金子彌門

昭和10年度全国優勝。後列左端、優勝旗を持っているのが大谷四郎キャプテン

昭和12年3月、第1回神戸一中クラブ東西対抗。前列左端が河本春男、中列2人目は大谷四郎。後列左から10人目、二宮洋一

昭和13年、全国中等学校蹴球選手権大会優勝の神戸一中チーム。前列左から荒木雄二郎、森武史、皆木忠夫、友貞健太郎、水沢淳也、小畑儀宏、玉木和之、後列左から松浦巌、宮田孝治、田島祐三、向井清之、加藤、加藤勝郎先生、河本春男先生、岡田稔、菱田武、芦田信夫、賀川太郎

1963年、河本春男氏(手前)とエリーゼ・ユーハイム社長。サッカーを観戦しながら会社の方針を決めていた。ユーハイム創業者のカール氏はサッカー選手であった 写真提供:(財)ユーハイム体育・スポーツ振興会

河本春男・神戸FC会長。1980年、神戸少年サッカー表彰式で 写真提供:(財)ユーハイム体育・スポーツ振興会

1985年、ユーハイム会長に就任した河本春男氏(右)。左は新社長となった長男の武氏 写真提供:(財)ユーハイム体育・スポーツ振興会

河本春男先生の書 写真提供:(財)ユーハイム体育・スポーツ振興会