日本サッカー人物史

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金子勝彦 [Katsuhiko KANEKO]

日本サッカー殿堂

2012年第9回掲額

1934年8月30日 神奈川県生まれ
中央大学を卒業後、大阪毎日放送を経て、東京12チャンネル(現テレビ東京)に入社。 1968年にスタートした「三菱ダイヤモンドサッカー」などを担当し、40年以上にわたり サッカー中継の実況をつとめた「サッカー実況アナウンサー」の草分け。
軽快な「ドラム・マジョレット」のテーマ音楽と、「サッカーを愛する皆さん、ご機嫌いかが でしょうか」のフレーズで始まる「三菱ダイヤモンドサッカー」は、解説の岡野俊一郎との 絶妙のコンビで、FIFAワールドカップをはじめ欧州各国のトップリーグの模様を、戦術的 な解説を含め視聴者に分かりやすく映像で伝えた。当時、情報量の少なかった海外 サッカーを紹介する「世界への窓」ともいえる唯一のテレビ番組であった。 1974年には、日本史上初めてFIFAワールドカップが衛星生中継された西ドイツ大会の決勝戦を実況した。テレビ東京退社後も、「オフィス・ワンツー・リターン」を立ち上げ、フリーランスアナウンサーとして活躍。民間放送や衛星放送で、Jリーグやイングランド・プレミアリーグの試合を数多く実況し、今も現役アナウンサーとして活躍を続けている。
常に、膨大な資料を読み解き、研究し、試合展開や局面での的確な情報を瞬時に分かりやすく多くの人に伝える努力を続けてきた。1968年の日本代表チームのソ連・ヨーロッパ遠征への同行をはじめ、現地取材を積極的にこなし、生の姿を伝えることに心を砕き、言葉を通してサッカーの素晴らしさを伝え続けている。 2002年Jリーグ特別功労賞受賞。
2012年第9回日本サッカー殿堂入り

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金子勝彦A丸山義行

丸山義行審判員。司会進行の金子勝彦アナウンサーの質問に、にこやかに答えた

金子勝彦A松本育夫

松本育夫さん(右)。司会進行の金子勝彦アナウンサーに古い記念品を見せられたが思い出すことができなかった

金子勝彦A丸山義行

第6回掲額式典で、喜びを語る丸山義行氏

金子勝彦A鈴木良三

第7回掲額式典で、金子勝彦アナウンサーのインタビューに答える鈴木良三氏(右) 写真提供:木村裕文氏

金子勝彦A浅見俊雄

第7回掲額式典で、金子勝彦アナウンサーのインタビューに答える浅見俊雄氏(右) 写真提供:木村裕文氏

金子勝彦A賀川浩

第7回掲額式典で、金子勝彦アナウンサー(左)のインタビューに答える賀川浩

金子勝彦A大畠襄

第7回掲額式典で、金子勝彦アナウンサーのインタビューに答える大畠襄氏(右) 写真提供:木村裕文氏

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