日本サッカー人物史

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小澤通宏 [OZAWA Michihiro]

日本サッカー殿堂

2014年第11回掲額

1932年12月25日 栃木県生まれ
1956年メルボルンオリンピック予選で日本代表デビュー、予選突破に貢献し本大会にも出場した。日本代表の主将として、また、ディフェンスの要としてチームを牽引し、約10年にわたって日本代表として活躍、95試合に出場した。
栃木県立宇都宮高校でサッカーを始め、全国高等学校蹴球選手権大会に3年連続で出場。2年時の第28回大会で準優勝し、翌年の第29回大会で優勝という成績を残す。東京教育大学では1年時からレギュラーで出場し、3年時には関東大学リーグで優勝、翌年度には全国大学蹴球選手権大会を制覇した。
1955年に東洋工業(現マツダ)に入社、56年度の全国実業団サッカー選手権大会で優勝、62年にも古河電工との同時優勝ながら2度目の制覇を果たし、同年の年間最優秀選手賞(フットボーラー・オブ・ザ・イヤー)を受賞した。65年の日本サッカーリーグ(JSL)発足後も東洋でキャプテンを務め、チームが得意としたパス攻撃を支えるディフェンダーの中心としてJSL第1〜3回大会の連続優勝(東洋は68年度まで4連覇)と65年度天皇杯全日本サッカー選手権大会初優勝に導いた。
現役引退後は、北米マツダ副社長、本社取締役総務部長などの要職を歴任。1984年、マツダのJSL2部降格を受けてサッカー部の部長に就き、チームの再建・強化に奔走した。また、マツダを母体とした広島におけるプロサッカーチームの発足に力を注ぎ、サンフレッチェ広島の創設(92年)に貢献した。
1971年に赴任したメルボルンで、在留邦人の子ども達にサッカーを指導したことを契機に、75年に芸府中サッカースポーツ少年団を立ち上げ、40年にわたって小学生にサッカーの指導を続けている。
2014年第11回日本サッカー殿堂入り

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