日本サッカー人物史

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  浅見 俊雄 Toshio ASAMI 国内外で20年以上にわたり活躍したトップレフェリー。JFAで長く審判委員長を務め、後進の育成に努めた
更新しました 今井 恭司 Kyoji IMAI 日本のサッカーカメラマンの第一人者
  今村 次吉 Jikichi IMAMURA 有名ランナーで体協の実力者、初代JFA会長
  岩谷 俊夫 Toshio IWATANI 卓越した技術で活躍した日本代表。ゴールを奪うMFで優しい指導者、歴史を掘り起こしたサッカー記者
  ウィリアム・ヘーグ William HAIGH JFA創設など日本サッカーの発展に尽力した英国大使館員
  牛木 素吉郎 Sokichiro USHIKI ワールドカップを11大会連続で現地取材、メディアを通して日本サッカー界への提言を続ける
  内野 台嶺 Tairei UCHINO JFA創設や東京蹴球団の結成 組織作りに力を尽くした漢学者
  大谷 四郎 Shiro OTANI 記者として、指導者として日本サッカーの普及と強化に尽くしたサッカー人
  大畠 襄 Nozomu OHATA サッカー界において、スポーツ医学分野の発展に貢献したドクター
  岡野 俊一郎 Shunichiro OKANO ワールドカップ開催国の会長、IOC委員――日本スポーツ界の顔。第9代JFA会長
  小澤 通宏 Michihiro OZAWA サンフレッチェ広島の創設に貢献
  小城 得達 Aritatsu OGI 攻守兼備のMF。東京、メキシコ両五輪で栄光をつかんだ“努力の人”
  奥寺 康彦 Yasuhiko OKUDERA 日本人初ブンデスリーガー
  小倉 純二 Junji OGURA 日本サッカーのプロ化を推進
  落合 弘 Hiroshi OCHIAI 16シーズン、260試合連続出場という大記録を打ち立てたJSLの“鉄人”
  鬼武 健二 Kenji ONITAKE リーグ優勝3回、天皇杯優勝3回 ヤンマーを率いたJSL最多勝監督
  小野 卓爾 Takuji ONO 戦後の日本サッカー復興期を支えた実力者。JFAや中大の発展と基礎を築いた
  賀川 太郎 Taro KAGAWA 学徒出陣の中断期を乗り越え、“日本サッカーの父”クラマーを感嘆させた戦中派の代表
  賀川 浩 Hiroshi KAGAWA サッカージャーナリストとして60年にわたり現場を取材、今なお健筆をふるう
  片山 洋 Hiroshi KATAYAMA 1対1の粘り強さでチャンスメーカーを封じ、メキシコ五輪銅メダルチームを支えた右DF
  金子 勝彦 Katsuhiko KANEKO 40年以上にわたり サッカー中継の実況をつとめた「サッカー実況アナウンサー」の草分け
  鎌田 光夫 Mitsuo KAMATA メキシコ五輪銅メダルチームのスイーパー。冷静かつ的確な判断力とカバーリングで守備陣の中枢をなした
  釜本 邦茂 Kunishige KAMAMOTO 20世紀の生んだ最高傑作
更新しました 加茂 周 Shu KAMO 日本人指導者 初の「プロサッカー監督」
  川淵 三郎 Saburo KAWABUCHI ワールドカップ招致と開催、日本サッカーの強化、地域スポーツの振興に力を注いだ“キャプテン”
  川本 泰三 Taizo KAWAMOTO 「ベルリンの奇跡」逆転劇の口火を切ったシュートの名人。戦前、戦後の日本を代表するストライカー
  河本 春男 Haruo KAWAMOTO チーム指導と会社経営 生涯に2度成功したサッカー人
  クリストファー W・マクドナルド Chritopher W MCDONALD イングランドと日本の架け橋となり、日本サッカー界の発展に尽力
  篠島 秀雄 Hideo SHINOJIMA 極東大会で活躍した、戦前を代表する名選手。復興期の日本サッカーの再起、発展を支え、導いた
  島田 秀夫 Hideo SHIMADA インターハイへの情熱を持ち続け、企業チームの成功を足場に新時代を開いた
  下村幸男 Sachio SHIMOMURA JSL初年度から4連覇を達成、「第3の動き」と呼ばれるコンビネーションプレーを叩き込む優れた手腕
更新しました ジーコ ZICO 鹿島アントラーズの礎を築き、日本代表監督としてFIFAワールドカップ ドイツに導いた世界的プレーヤー
  杉山 隆一 Ryuichi SUGIYAMA 世界を驚かせた日本サッカー・俊足の攻撃リーダー、メキシコ五輪銅メダルのパスの名手
  鈴木 重義 Shigeyoshi SUZUKI インターハイ初優勝、国際試合初勝利、初出場のオリンピックでベルリンの奇跡。日本サッカーの可能性を切り開いた、選手で監督、ポンポンさん
  鈴木 良三 Ryozo SUZUKI 東京五輪からメキシコ五輪、日本サッカーの飛躍期に日本の守備を支えたDF
  髙田 静雄 Shizuo TAKADA 日本人初ワールドカップ主審
  高橋 英辰 Hidetoki Takahashi 70年代に「走る日立」で日本サッカーに世界を見せ、生涯現場に生きたコーチ“ロクさん”
  高橋 龍太郎 Ryutaro TAKAHASHI 三男彦也を育ててくれたサッカーのために――
  竹内 悌三 Teizo TAKEUCHI 30年極東大会と36年ベルリン五輪、2つのビッグ・イベントを勝ち抜いた名フルバック
  竹腰 重丸 Shigemaru TAKENOKOSHI サッカーひと筋74年。技術、戦術の大先達“ノコさん”
  田辺 五兵衛 Gohei TANABE 偉大な世話役で博覧強記
  玉井 操 Misao TAMAI 兵庫、関西の協会長、神戸FC会長として少年育成に尽くした明治生まれのリーダー
多和 健雄 Takeo TAWA 学習指導要領作成に関わり、サッカーの義務教育課程化に貢献。その成果が日本サッカー界の発展につながった
  チョー・ディン Kyaw DIN 自ら手本を示して基礎技術を教え、パスをつなぐ組織サッカーを説いた
  坪井 玄道 Gendou TSUBOI スポーツを学校教育に取り入れ、そのなかでサッカーを推奨した
  手島 志郎 Shiro TESHIMA “すり抜ける名手”敏捷性を生かし日本スタイルの原型を築いたセンターフォワード
  デットマール・クラマー Dettmar CRAMER 20世紀半ばに日本サッカーの大変革の基礎を作った
  鴇田 正憲 Masanori TOKITA 戦後10年、ウイングプレー一筋。“センタリングの神様”と呼ばれた戦後最高の右ウイング
  永井 良和 Yoshikazu NAGAI 人気テレビアニメ「赤き血のイレブン」のモデル
  長沼 健 Ken NAGANUMA 五輪代表監督からワールドカップ招致まで、40年間をJFAとともにした日本サッカーの大功労者
  奈良原 武士 Takeshi NARAHARA FIFAワールドカップを1970年メキシコ大会から4大会連続で取材した日本のサッカージャーナリストの草分けの一人
  新田 純興 Sumioki NITTA JFA創設期から歴史をつくり、歴史を伝えた
更新しました 二宮寛 Hiroshi NINOMIYA 先進的な思考と行動力で日本代表の価値を高めた日本代表監督
  二宮 洋一 Hirokazu NINOMIYA 天皇杯を7度も獲得した、プレイメーカーで名ストライカー。代表選手、監督としても日本サッカーに貢献
  野津 謙 Yuzuru NOZU インターハイ、クラマー、スポーツ少年団 発展のもとを築いた“選手”会長
  野村 六彦 Mutsuhiko NOMURA 日本サッカーリーグ初代得点王
  ハンス・オフト Marius Johan OOFT 日本代表を世界基準に向けさせた初の外国人監督
  平井 富三郎 Tomisaburo HIRAI JFAの財政を建て直し、次の成長期に備えた
  平木 隆三 Ryuzo HIRAKI どん底の時代から栄光の銅メダルまで日本代表を押し上げたピッチ上の主。天皇杯改革など今日の発展の基礎を築いた
  深尾 隆太郎 Ryutaro FUKAO サッカー人の力を結集してベルリンで成果を挙げた“男爵”会長
  福島 玄一 Genichi FUKUSHIMA 東京五輪で主審を務めた国際審判員。審判界の技術向上、育成や組織化にも多大な貢献
  藤田 静夫 Shizuo FUJITA 京都での成功をステップに日本サッカーの興隆に尽くしたJFA第6代会長
更新しました 松丸 貞一 Teiichi MATSUMARU 戦後審判界の発展に尽力 国際審判員としても活躍
  松本 育夫 Ikuo MATSUMOTO 18歳で代表デビュー、古希を前になお現場に立ちつづけるメキシコ五輪銅メダリスト
  丸山 義行 Yoshiyuki MARUYAMA 日本とアジアの審判の技術向上、育成に尽力した日本人初のワールドカップ審判員
  宮本 輝紀 Teruki MIYAMOTO 杉山、釜本とともにメキシコ五輪銅メダルチームの核となった、1959年アジアユース1期生
  宮本 征勝 Masakatsu MIYAMOTO アマチュア選手時代に“プロ”と呼ばれ、プロリーグ開幕年に第1号優勝監督となった
  村形 繁明 Shigeaki MURAKATA 第3回アジア大会決勝で主審を務め、日本レフェリーの国際舞台への第一歩を記した
  森 孝慈 Takaji MORI メキシコ五輪全試合出場で銅メダルに貢献したHBで元日本代表監督。浦和創設に尽力し初代監督、GMも
  諸橋 晋六 Shinroku MOROHASHI 日本のサッカーの普及と人気の定着に注力、2002年FIFAワールドカップ日本招致委員会副会長
  八重樫 茂生 Shigeo YAEGASHI 五輪の戦いを12年間続けた、銅メダルチームの精神的支柱。日本が生んだ国際クラスのゲームメーカー
  山口 芳忠 Yoshitada YAMAGUCHI 密着マークでメキシコ五輪銅メダルの栄光を生み、ペレの生涯最高のゴールを引き出した“すっぽん”
  山田 午郎 Goro YAMADA サッカージャーナリストの草分け 小学校の先生から新聞記者、名選手、名コーチとして誰からも慕われた
  横山 謙三 Kenzo YOKOYAMA 安定したセービングと分析力で東京、メキシコ両五輪全試合でゴールを守ったGKで元日本代表監督
  ネルソン 吉村 大志郎 Daishiro Nelson YOSHIMURA サッカーのために最初にブラジルから来日、日本サッカーに大きな衝撃を与えた日系2世
  渡辺 正 Masashi WATANABE 銅メダルのメキシコ五輪で2得点の活躍。指導者としても実業団で実績を残す

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